代表者プロフィール

蒲原 孝郎    Tak KAMBARA

  • 1957年静岡県生まれ、静岡聖光学院の第1期生として卒業後、法政大学に進学。在学中休学して憧れのハワイ・カウアイ島に留学。スーツに革靴で空港に降り立つも、周りはTシャツに短パン姿ばかり、はからずもホストファミリーに日本人の律義さをアピールすることに。
  • 1年後、大学復学し無事卒業。新卒でデンマークの船会社「マースクライン」に就職、大酒のみ北欧バイキングの末裔船長に鍛えられながら、様々な貿易実務を経験し習得。
  • ある大雪の日の朝、坂の多い横浜で原チャリ出勤途中に転倒し、日本からの脱出を本気で考える。
  • 暖かいカリフォルニアを目指し、1985年渡米しLAを拠点に「わさび・わさび関連製品」の販売を始める。初月の売り上げはわずか450ドル。
  • まだまだ日本食が一般的ではなかったため、最初はLA・NYなど大都市を中心に地道な営業活動を行う。
  • プラザ合意後、急速に円高が進むという時代の逆風の中で、その頃からの「すしブーム」も追い風になり徐々に売り上げを伸ばし始める。
  • その後、全米だけでなくカナダ、ハワイ、中南米にも販路の拡大を目指す。
  • その間、製品安定供給と為替リスク回避のため、粉わさびの製造を現地提携工場にて立ち上げる。
  • さまざまな苦難を乗り越え、約30年以上に渡りわさびを売り続け、最終的には40ftコンテナで年間60本以上、数セントから数ドル程度のわさびを、総額1億ドル以上を売り上げる。
  • 当時「わさび」を「Green mustard(グリーンマスタード)」と訳されることに異を唱え、「WASABI」と定着させるよう各方面に働きかける。
  • 2005年米国NPO法人「日本食文化振興協会[JFCA]」の設立発起人として、正しい日本食文化を広め理解してもらう活動に、他の日本食品メーカーと共に奔走、現在は副理事長職。
  • 2014年日本食品類の対米輸出コンサルティング会社「EAT USA」を設立。
  • 120年以上の歴史を持つLAの「南加静岡県人会」の会長に2015年就任。船で海を渡った諸先輩方の想いを受け継ぎ、若手メンバーの加入を増やすイベントを企画し、併せて古くからの伝統も受け継ぐ。
  • 2016年静岡県より「静岡茶輸出拡大協議会」米国サポートデスク職務を受託。同時にJA静岡経済連茶業部、米国代理人に就任。
  • その他、高知県や兵庫県など自治体や様々な団体・企業から、対米輸出へのコンサルティングを依頼され、現在に至る。

 



AGRIO寄稿

弊社代表が、時事通信社のAGRIOに約2年半に渡って寄稿いたしました。

「アメリカ日本食発展史」

明治期から太平洋戦争を経て、戦後の日本食ブームが起こり、すしブームから現在に至るまでを詳しく書き記しております。

ぜひ、ご一読ください。

お読みいただくには時事通信社との購読申込が必要です。

こちらからご登録ください。

デジタル農業情報誌 AGRIO